経済界 2001.1.30号 148〜149頁
トヨタの人脈にも頼らずカーライフ支援サイトを開いた マイクル 社長 渡辺朝雄
大企業のやり方に疑問を感じ独立を決意
独立・起業するともなれば、今までの人材やキャリアをフルに活用するのが一般的だろう。だが、トヨタ自動車をスピンアウトしたマイクル社長の渡辺朝雄氏は、「(トヨタ時代のコネクションを利用することは)正直、考えられなかったですね」と言う。起業するに当たって住み慣れた名古屋を離れ横浜に移り住み、「車の仕事をしようとは全く思わなかった」と述懐する。端から見ると、大企業出身のメリットを生かすどころかその正反対の行動を取っているようだが、その真意は何か。 渡辺氏は、大学卒業後の一九七三年、当時のトヨタ自動車販売に入社した。いくつかのセクションを経て産業車両部(当時)に配属されるが、ここで企画マンとしての素質が開花する。産業車両部では、フォークリフトや関連の建設機械、物流機械を取り扱っていた。渡辺氏はその商品企画を担当し、「当時の産業車両関連の新商品はほとんど企画した」と言うほどだ。 その後、トヨタ自動車販売とトヨタ自動車工業の合併を経て、八三年、産業車両部での手腕を買われ国内企画部に移る。今度は乗用車の商品企画だ。主にクラウンや今のソアラ、セルシオなどといったミドルからラージクラスの車を担当した。ちょうど自動車電話が出始めたころで、主力は渡辺氏が担当していた高級車だったことから、通信事業に初めて携わる。三年ほどがたち、渡辺氏に大きな転機が訪れた。八七年に設立され、トヨタ自動車が出資していた当時の日本移動通信(IDO)に出向し、名古屋支店の立ち上げに参加することになったのだ。 同じくトヨタ自動車から土居正雄氏(現KDDI副社長)が名古屋支店長として出向し、渡辺氏はその下で実務を取り仕切ることになる。支店では、人の採用から基地局の建設、営業、広告宣伝まであらゆる業務にタッチする。上には土居氏がいるだけという職場環境で、当然権限もあり多くのことを任せてもらえた。基地局を一つ建設するにも当時で二億円近くの金が掛かったが、最終的な決済はあるものの、建設に当たっての実質的な決断は渡辺氏が下したという。 IDOに四年勤めた後の九二年、トヨタに戻ることになった渡辺氏だが、言い知れぬ違和感を感じ始める。第四車両部を経て情報通信部に移り、販売店の情報通信事業の育成や支援を手掛けるなど仕事そのものは良かった。だが縦割りの組織の中で細分化した仕事を専門的にやる大企業のやり方や、新しい企画や提案に耳を貸してくれない社内の現状に「これはどうしようもないな」との思いを次第に募らせていく。責任のある仕事をたくさん任されていたIDO時代とはそれこそ天と地ほどの開きがあった。この時期から、渡辺氏は転職・起業を考え出す。折しもインターネットが出始め、自分の進むべき方向性をネット関連ビジネスに定めた。 ところが、転職活動は思わぬところで壁にぶつかる。接触したとあるベンチャー企業からは、「大企業で育った人間はベンチャーの仕事のやり方や考え方に馴染まない」とされ、トヨタ勤務の経験がマイナスにすらなったのだ。くしくも、IDO名古屋支店とトヨタ自動車で渡辺氏自身が感じた大きな差異を言い当てられた格好だ。起業を視野に入れて、社内ベンチャー制度を活用しようにも、「結局、建前の世界なんですよ。あくまでトヨタがやるベンチャーですから、大企業の仕組みの中で動かさるを得ない」のが実情だ。かといって名古屋で何かやろうすると、必ず「トヨタの渡辺」が付いて回る。このまま名古屋にとどまってもうまくいかないのではないかと考え、前出の土居氏に相談すると、「お前、新しいことをやるんだったら東京だよ。名古屋とは人の数も情報も比べものにならない」と励まされた。 |
ネットにも車にも精通しているのが強み
九七年十二月、トヨタ自動車を退社。翌九八年三月に、インターネット関連のビジネスを興そうとマイクルを設立する。大企業のやり方自体に疑問を感じていたから、トヨタ時代の人脈には頼らなかった。そのころ情報通信分野では、技術革新のスピードが加速していた。「今世紀中に(事業)基盤を作らなければ、新しい動きに乗り遅れてしまうという思いがありました。しかも、ある程度まで基盤を築き上げるには最低三年は必要だと。ですから、逆算すると退社したときがギリギリでしたね」。 現在、同社の主力は、二〇〇〇年九月に開設したカーライフ総合支援サイト「くるまーと」の運営である。トヨタ退社時は、「車の仕事はしない」と決めていた渡辺氏。カーライフ支援サイトを立ち上げるに至った経緯はいかなるものであったか。自動車購入支援サイトCar24の平田昭夫社長が、サイトの立ち上げに際し、中島洋・慶応義塾大学教授に話を持ちかけた。渡辺氏の子息が中島氏の研究室で学んでおり、中島氏から紹介されたのがきっかけだ。そこで、九九年十月、渡辺氏はCar24のウェブマスターを務めることになる。そして翌二〇〇〇年八月にウェブマスターを辞任した後に開いたのが、「くるまーと」というわけだ。 「くるまーと」のコンテンツは、車名別やタイプ別に検索できる「新車データベース」をはじめ車関連サイトを格付け評価する「格付けサイトガイド」ほか、コラム、業界トピックスなど多岐にわたる。iモード対応メニューも準備中だ。車関連サイトと言えば、アメリカ産のオートバイテル・ジャパンとヤフー自動車、カーポイントが先行している。これに対し、渡辺氏は「市場環境や流通構造を無視して、米国の仕組みをそのまま日本に持ち込んだだけでは消費者の期待に応えることはできない」として、日本に合ったやり方を追求していく方針だ。 一方で「日本のネットビジネスの多くはベンチャー主体で入って来て、やっている人間は実業の世界をほとんど知らない」とも分析する。必ずしもカービジネスの現場で経験を積んだ人がサイトを運営しているわけではないし、自動車メーカーの電子商取引部門に勤める人がネットの本質を理解しているとも限らない。 裏を返せば、渡辺氏の強みは「ネットも知っているし車にも精通している」点だろう。その意味で、「日本で適任者は私しかいない」と自信を見せるのもうなずける。 「相手は、オートバイテル、ヤフー自動車、カーポイント、GAZOO(トヨタ自動車が運営するサイト)だと思っていますので、少なくともこの四つの上に立つ」と、意気軒高である。 (本誌/松下延樹) |