当時私は、その書評をホームページにこう記した。
いささかなりともクルマの商品企画に携わり、とくに自動車電話やカーナビ、そして車載テレビなどクルマと情報通信について直接的にせよ間接的にせよ深く関わってきた私の目の前に、一冊の本が出現した。(略)
“カーナビ”については、私はこれまで極めて懐疑的であった。多分私が商品企画を担当していた十年ほど前の技術レベルでの体験が尾を引いていたのであろう。何故こんなに売れるのか理解できなかった。(略)
目からウロコが落ちたとはこのことであろう。カーナビの本質、クルマの本質、日本のクルマ社会、そしてカーマルチメディアへの道について明快に語っている。共感する部分が極めて多い。一部要約してご紹介する。
「カーナビの本質は、“ナビゲーター(経路誘導装置)”ではなく、“ロケーター(位置表示装置)”にあった。クルマが地図上の道を走る限りナビゲーターは不必要で、地図にない実用道路、生活道路を走るときこそロケーターが必要なのである。位置確認の情報を常時提供しつづけることで、ドライバーの気持ちを地理不案内という不安から解放し、同時に孤独感からも解放するという精神面の効果である。」
「カーナビは明らかに、クルマの本質を変えるだけのエレクトロニクスと情報通信という大きな二つの機能を持っている。本来機械であるクルマを、エレクトロニクス化する過程で、カーナビはそれを欧米のクルマが進む、<馬車>→<移動空間>→<安全>→<自動運転>→<無人カー>という方向に持っていくための窓口になることができる。
「しかし同時にカーナビは、馬車もクルマをナビゲートするべき道も持たないアジアの農耕国家や、インフラの遅れている発展途上国のクルマとして、<地図にない道を走る>→<自分の意思で走る>→<自由に運転する>→<ヒューマンカー>を目指す窓口になることもできる。」
「ドライブするためにクルマに必要なものは、地図ではなく、その途中や目的地で行動するための詳しい情報、つまりガイドブックである。自動車先進国欧米では、日本のような詳細な地図を何冊もクルマにおいておくようなことはない。あるのは、あまりにも有名なあの赤い表紙の“ミシュランのガイドブック”。利用者にどこまで利便性のある情報を提供できるかということを考えたとき、究極の編集をすればホテル、レストランなどの格付けまでしなければならない。」
「カーナビはその華やかなブームとは裏腹に、売れるというだけの理由で深い論議のないまま開発に飛びついた後付け電気メーカーと、そのブームを千載一隅のチャンスと待ち構えている官庁の陰謀の中にある。」(00/03/24 わたなべあさお)