●「ソアラの教訓」
先週のよもやま話を「外資系各社、そして富山の3メーカーの今後に、大いに期待しよう。」と結んだが、実はいささか気になる記事を目にしていた。日経産業新聞4月6日付の「流行ウォッチング」というコラムである。タイトルは
「デザイン均質化するクルマ、国際化・再編で個性なくす?」
要約すると、トヨタの「WiLL Vi」やホンダの「インサイト」のような特徴的なクルマもなくはないが、このところ各メーカーのデザインの差異がわかりにくくなってきており、どれもがどことなく似てきている。この背景には、クルマのマーケットがグローバル化してしまったことや、メーカーの合併や再編が少なからぬ要因としてある。
さて、初代ソアラは、81年に衝撃的にデビューした。最高級スペシャルティカーとして、高性能DOHCエンジンやエレクトロニクス技術など当時のトヨタの最新技術を結集した。ハイソカー(ハイソサエティ・カー)の代表として、女子大生の人気No.1として、カー・オブ・ザ・イヤーの受賞はもちろん、各方面から絶賛を浴びた。
その人気の秘訣は、何より一目見てソアラとわかる台形シルエット。フロント、センター、リアピラーの延長線が三角形の頂点で交わるあの美しきスタイリングは2ドアクーペの理想そのものであった。開発責任者(主査)は、トヨタ初のデザイナー出身の岡田氏。
2代目もまた初代のスタイリングを踏襲(キープコンセプト)、流麗さと繊細さに磨きをかけ、日本車の象徴とも言える美しさを完成、ソアラ人気をさらに高めることに大いに貢献した。
私は2代目の発売直前にソアラの担当となり、以後マイナーチェンジや、オープンモデル(コンバーチブル)、3代目のモデルチェンジ企画に携わった。
初代、2代目とソアラは国内専用モデルであった。3代目は、米国に新設する高級車チャンネル「レクサス」への投入が予定され、商品企画は、当初から海外部門の意向を考慮して行われた。
デザインも、トヨタとして初めて米国、東京デザイン部、本社デザイン部の3チームがそれぞれクレイモデルを製作して審査が行われた。米国チームは、会場となったデザインドームに米国の街や家庭、そして食器や牛乳パックに到るまで実寸モデルを構築・再現してプレゼンを行った。素晴らしいプレゼンであった。米国の風土には、流麗・繊細さは似合わない。初代、2代目のスタイルでは米国では全く売れない。
結果、3代目はずんぐりむっくり?の現行モデルとなった。案の定、国内では全く不評、発売以来低迷が続いている。
ソアラの教訓は、生かされるであろうか?。
(00/04/10 わたなべあさお)
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