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素直に書いているなあと思ったんである。
絶好調の軽自動車に関しては、相変わらず燃費と空間競争中心のインプレッションが続いている。もちろん、コペンのような例外はあるけれど、基本は自転車が載るかとか、リッター30キロに届くかとか、まあそんな話だ。
広く重くなる車体に対し絶対的に非力で、結果アクセルを踏み込むために燃費も期待ほどのびない。そういう軽規格についてはここで何度も書いてきたけれど、まあそういう雑誌記事はほとんど見かけない。
だから、『CARトップ』誌での中谷明彦氏による記事は、当然といいつつも意外だったんである。
今号で中谷氏は、ハイトワゴンタイプの比較記事などふたつの企画で軽を語っているんだけど、いずれも結びには「乗るんだったらターボにするべき」としている。街中の平地だけならまだいいけれど、坂道や高速でNAはどうにもパワー不足だと。
違う記事・ページなんだけど、いずれも同じことを書いているというのが面白い。つまり中谷氏にとってみれば、軽はいつ乗ってもそう感じる乗り物ということなんだろう。
けれども、それは特段レースドライバーじゃなければわからない次元の話じゃない。試乗センスのない僕だって、代車などでしばらく軽に乗れば、少なくともNAはメインカーになり難い非力さを痛感するし、エンジンをガーガー唸らせることで燃費の悪さを実感する。
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ところが、同誌の同じ号でさえ、たとえば新しいワゴンRの新車インプレッションでは、Sエネチャージが加速のアシストにつながっていないことに疑問は呈されず、アイドリング・ストップの再始動がスムーズであることに満足した記事にとどまっていたりする。
軽規格を変えることが早々現実的でないとすれば、最低限ターボという選択を示すことはごく当たり前だと僕は思う。軽はまあこんなものとしてベーシックなNAが前提とされるのは、だから思っている以上に普通じゃない状況ではないのかと。
いや、もちろんユーザーによっては「NAで十分だ」という意見があってもそれはそれでいい。話は評論を行う側の意識の問題だ。
僕は中谷氏の活動に詳しいわけじゃないけれど、記事を読んでいてとても素直なものに思えたんである。軽は軽なりに書かないといけない・・・なんておかしなバイアスがなく、あ、これは非力だな、じゃあターボだな、という。
その人独自のこだわり、あるいは表現力など、自動車評論家としての見せ所はいろいろあるだろうけど、その基本とするべきものは「素直な感覚」なんじゃないか? そんなことをあらためて思わせた記事なんである。
(14/10/07 すぎもとたかよし)
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