|
クルマの進化って何だろうと思わせるんである。
80年代以降、ライバルを引き離しにかかった当時のトヨタのクルマ作りは、実に「巧い」ものだった。とくに最大のライバルとされた日産の混迷を尻目に、時代にマッチし、スタイルもインテリアも走りも、ユーザーの期待より少しだけ先を行く絶妙のバランスを感じさせたんである。
初代のハリアーは、その流れの「後期」に登場したというのが僕の認識だ。分かりやすいプロポーションにシンプルな面、端正なグラフィックのボディは、高級セダンとSUVの融合というコンセプトに沿っていて、言ってみれば当時ヒットしていた9、10代目クラウンを背高にしてバタ臭さを加えたような巧妙さがあった。
一方で、ここ5、6年の何をやりたいのかよくわからない流れのまま出てきたのが新しいハリアーかと。
いや、2代目の途中からレクサスと合流したり、今度は米国版RAV4の兄弟車と、ポジション的にもワケがわからないことにはなっていたんだけど、あくまで商品自体として。
で、いちばんは意図不明のスタイリング。これ後付け品?なグリルとバンパー、グニャリと凝ったフロントランプ、妙なカーブのサイドグラフィック、ガタガタしたリアランプと、そこから下る中途半端なライン。
|
|
初代のようなシンプルさでもなければ、特段エモーショナルに振ったわけでもない。何となくいま風に凝ったパーツを散りばめただけで、「これ」という一貫したテーマが感じられない煩雑なボディは、まさに最近のトヨタ車そものだ。
インテリアも、たしかに人工皮革で包まれたコクピットはある種の質感があるけれど、何というかとても唐突な提案で落ち着かない。この突然変異的な造形は、エクステリアの散らばり感にも通じるところだ。
まあ、それでもかなり好調に売れているのは、たぶんフルHVの投入が大きいんだろうと。カローラの例にもあるように、いまやHVは七難隠す。政治の世界ではいま多くの無党派層がいるけれど、何となく新車という層にとって、HVはアベノミクスのかけ声同様抜群の浸透力だし、件の内装だって「スゴい豪華!」と背中を押す。
けれども、初代のまとまりのよさと比較すると、クルマの進化って一体何だろうと改めて考えてしまうんである。
走行や安全性能、快適装備に燃費と、すべて新しいクルマが勝っているに決まっているんだけど、それでも「あのときは巧かった」と思わせてしまうのはなぜなんだろう。仮にトヨタのバランス感覚がいま感じられないとしたら、そこに進化という言葉を使うのは適当なんだろうか?とか。
当時のトヨタを80点主義と称したのは間違いじゃないと思うけれど、だったらいまは新しい時代の80点主義ということなんだろうか。個人的にはいささか疑問なんだけれど、いずれも同じように極めて多くの支持を得ている以上、そう思うしかないのかもしれない。
(14/02/11 すぎもとたかよし)
「日本の自動車評論を斬る! すぎもとたかよしのブログ」へ
|