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先日、出張先の京都・今出川で見つけた珈琲店「FACTORY KAFE工船」は、華奢ながらも手作り感覚溢れるインテリアが気持ちいいだけでなく、一杯30グラムもの豆を丁寧にネルで淹れるストレートコーヒーも素晴らしい味だった。
おそらく僕よりひと回りは年下の若いオーナーは、これまでの経験から独自の味の引き出し方を研究し、いまでも毎日が試行錯誤だと話してくれた。珈琲通がうなる“スペシャルティコーヒー”を謳うこともなく、流行のカフェスタイルに同調することもない姿勢には、年齢とは関係のないある種の「本物」を感じた。
いまガンダムやヤマトなど、アニメ世代を築いた代表的作品のリメイクが流行だ。
ファースト・ガンダムの正当な続編と言われる「UC(ユニコーン)」は、実写映画で残念な作品が続く福井晴敏氏の書き下ろしという一抹の不安材料があったものの、安彦氏のキャラクターデザインと相まって、ファーストと絡むかのような展開を、的確なテンポと抑制のきいた演出で独自の世界観を持つことに成功している。古橋一浩監督は大きくメディアで取り上げられる機会こそないけれど、作品によって押さえるべきツボを把握できる「能力」を持っているみたいだ。
一方、キムタクの実写版と異なり、設定はもちろん、シナリオまでほぼオリジナルと同じとし、畏怖の念をもってこれを最新映像で表現するとした「ヤマト2199」は、抑えのきかない安易なアレンジと全体を俯瞰できない細部へのこだわりが先行し、信じ難いまでの駄作になっている。自身のメカニックデザインがなければ映画「パトレイバー」の成功はなかったなどと、頓珍漢な批判を押井守氏に向けたこの出渕裕監督は、史上もっとも有名な作品に手を付けることで「能力」のなさを露わにしてしまった。
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オリンピック中継の直後に流れる通常のニュースに興ざめするのは、単にもっと有名選手やその競技を観ていたいということもあるだろうけれど、世界を相手にする「超一流」の技と比べ、たとえばいつまでたっても政局報道に終始するメディアや、加速する政治家自身の「三流」、「四流」ぶりに、あまりの落差を感じるからかもしれない。
ところで、現在・過去を問わず、クルマには名車と呼ばれるものもあれば、駄作とされるものもある。仮に名車が「一流」で駄作が「三流」だとしたら、その差は何の「能力」の違いによるのだろう? 開発主査の統括力か、デザイナーの腕か? あるいは営業や役員の余計な横槍か? 数多くの人間が、しかも4年も5年もかけて作るプロダクトに、何でそんな差が出てくるのだろうか。
そして、オリンピックの「一流」の技に沸く視聴者=僕らユーザーは、なぜクルマでは平気で「三流」を選択してしまうのか。「無気力試合」を批判しながら、何で無気力なクルマにお金を支払ってしまうのだろう? 実は、本当のところ「一流」の技を見ているのではなく、例によってイベントものに弱い日本人のいつものクセなのか?
人気のB級グルメじゃないけれど、すべてがいいもの、全部が「一流」では面白くないという言葉をよく聞く。何となく言いたいことはわかる。けれども、そのB級グルメにもランキングが付くように、結局はいいものとそうでないものに厳然として分けられるんである。
「一流」という言葉が滑稽でいやらしいのなら、単に「いいもの」でも同じだろう。やっぱり僕は「いいクルマ」を期待するし、そういうクルマを見たい。だから、いいものを作る「能力」や、その力が大いに認められる環境を期待すると同時に、それを見定める審美眼も持っていたいと思う。
え、何を言っているんだかわからない? まあ、夏休みということで。
(12/08/18 すぎもとたかよし)
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