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この8月をもって生産終了となるコペン。雑誌では残念だとの話で取り上げられているけれど、僕もやっぱりそう思う。
ただ、それはコペンそのものがなくなることより、「コペンのようなクルマ」がなくなることの寂しさなんである。
バブル崩壊はとっくに過ぎていたとはいえ、いまみたいな慢性的不況とも違う10年前にコペンが発売されたのは、経済的に許された背景と同時に、責任者に明快な開発思想があったからなんだと思う。一説には180万円でも売るだけ損するなんて話があるけれど、そういう企画にゴーサインを出したのは、きっとタイミングのよさもあったんだろう。
けれども、少なくとも商品レベルで見た場合、この10年間にそうした思想や資産が引き継がれ、しっかり生かされたかというと、それはかなり疑問であって、かつ残念なところだ。
たしかに、ダイハツが先代ムーヴあたりから内外装の質感向上に目を向けたのは認めるし、それがライバルメーカーに影響を与えたのは評価されるところだろう。ただ、残念ながらその“向上”はコペンのそれとまったく次元が違ったんである。
いや、何もエキスパートセンターの熟練工による手作業云々ということじゃなく、軽だのコンパクトだのという自らの“しばり”にとらわれず、クラスレスとも言えるもの作りにトライしたその発想の価値だ。
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もちろん、180万円は「軽」と考えれば高価だけれど、フツーに作ったいまどきのカスタムだって150万円もする。手作業と通常のラインの差がわずか30万円なのであれば、コペンによるノウハウとそのクオリティが、十分にフィードバックされたとは到底思えないじゃないか。
それどころか、いまじゃ真逆とも言えるミラ・イースの作りが「まったく不足はない」なんて平気で評価されていたりする。そりゃあ、たしかにそこそこ安いけど。
僕は最近VWのUP!のことをよく書くけれど、単純に言えば、ダイハツにはずっと前にUP!を作ることができた筈なんである。そういう技術もノウハウも、あるいは商売だって可能だったと。そんなことはほとんど継続されず、目先の安モノにあっけなく流れてしまうのは、さて一体どうしたことなんだろう?
丸く愛らしい2シーターはクルマ好きのツボを・・・という話があるけれど、実のところ僕はコペンそれ自体にそれほど興味はない。スタイルだけで言えばビートの方がずっと好きだし。
ただ、繰り返すけれどそのクラスレス感は本当に素晴らしい。軽は制約があるからこそ発展するというセリフをよく聞くけれど、こいつに限ってそれは当てはまらないと僕は思う。だからコペンと同時に「コペンのような」クルマがなくなるのは実に残念なんである。
いや、もちろんこれが規格としても「軽しばり」じゃなく、1リッター・ターボなんかだったりしたらさらによかったのに、というような話が別にあったとしても、だ。
(12/04/10 すぎもとたかよし)
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