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■パジェロ!?
ダイムラー・クライスラーからの増資話がチャラになったとき、さて、これからが本当の復活のシナリオが書かれるんだな、と僕は思ったんである。だって、危うくなったらポンと数千億円も出してくれる出来のいい親がいたら、あの三菱のことじゃあ本気なんかにならないだろうと思っていたからだ。で、そうしたら何ということか、この会社の新しい社長ときたら、一度はお蔵入りとなった筈のパジェロの名を引っぱり出してきて、これを三菱のシンボルとして再生を図るというじゃないか。おいおい、本気なのか、三菱?
■変わってない?
僕は知らなかったのだけど、パジェロというクルマは子会社であるパジェロ製造という専門会社が作っているとか。まあそれはいいんだけど、そのパジェロ生産継続を地元から伝えるTVニュースには唖然としてしまった。だって、社員やら地元住民に向けられたマイクからは「やっぱりパジェロは三菱の顔です」とか「町のためにもよかった」とか、そんな話ばっかりなんである。
いや、あのさ、そういう問題じゃないでしょ。そういう次元の話をしている場合じゃないでしょ。
そりゃあ、いまの危機的状況を招いたのはリコール隠しだの脱輪問題だの、そういうイメージ低下もあるんだろうけど、なにより売れるクルマがないのが主原因の筈。企業としてケシカランことがあっても、商品が売れていれば、善し悪しはともかく、少なくともこういう事態にはならないわけだから。で、その販売不振を招いた原因こそが「パジェロ頼み」の体質にあったんじゃなかったっけ?
たしかに、あんなにデカくて利益率のよさそうなクルマが、一時的とはいえ年間に8万台も売れたら笑いが止まらないのも分かるけど、あの時の売れ方がブームに乗ったものだったなんてことは、直後の急激な売れ行き低下を見ればすぐに分かることなんである。それを「ミニ」だの「イオ」だの、冗談みたいな自社製品のコピーを作り続け、乗用車ベースのミニバンに移行するユーザーの動向をすっかり見落としたのがいけなかったわけでしょう。にもかかわらず、ことここに至ってパジェロがどうのこうのと言ってのける役員や社員って一体何者なんだろう?
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■三菱らしさとは・・・
僕はかつて自著で「仮に三菱がクルマを作らなくなっても、社員以外は誰も困らないんじゃないか」と書いたことがある。RVブームになれば全車にカンガルーバンパーを付けてしまうメーカーに、クルマを作る必然性を感じなかったからだけど、いま三菱に求められているのはそれなんじゃないのか?
たとえば鳴り物入りで発表したコルトやグランディスが予想よりも苦戦している中、eKワゴンは着実に売れている。それはいきなり外国から有名デザイナーを呼んでポンと作った懲りすぎのクルマよりも、シンプルながら良心的で質実な作りの軽自動車に三菱の独自性を垣間見ることができたからじゃないのか。
■仕事しないの?
さて、僕は例によって評論家やメディアに物申したい。いまこうして歴史ある日本のメーカーが存亡の危機に瀕しているとき、多くの関係者はなぜこれを放っておくのか? なぜ傍観者のような態度でいるのか? いや、少なくともなぜこの件を大きく取り扱わないのか?
かつてマツダが5チャンネルの拡大路線をとったときもそうだった。僕のような素人でさえ「こりゃマズイだろう」と思う計画に、ほとんどの評論家やメディアは異を唱えるようなことはなかったんである。いつもはメーカーべったりの記事を書いているくせに、こういうときはいきなり無口になってしまう。で、失敗したら結果論的なことばかりを書く。けれども、少なくともジャーナリストを名乗るなら、いまこの状況を語らずして何を語るのか? こんなときにランエボVSインプなんて記事を書いている場合じゃないだろう。それともあれか? さんざん仕事の材料にさせてもらって、いざとなったら流行の「自己責任」ってやつか? それじゃあどこかの政府以下じゃないか。
案の定、三菱はグループに支援を求めてきた。危機感の欠如はここに理由があることが再認されたわけだ。でも、それだけじゃ金は足りない。その分をどこから調達するのか分からないけれど、とにかくいま三菱はなぜクルマを作るのか、どういうクルマを作りたいのか、そして三菱自動車とはどんな企業なのかを明確に示すべきだと僕は思っている。
(04/05/05 すぎもとたかよし)
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