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クルマっぽくない提案は可能?って話なのかもしれない。
あのビートほどじゃないけれど、初代MRワゴンのエクステリアは「よくぞ軽でここまで」とちょっと驚くくらい秀逸な出来だった。2座オープンではなく4座で、という面では、ある部分難易度はより高かったかもしれない。
2代目はいきなりな路線変更自体に驚いたけれど、30代女性を意識した企画やそのスタイリングはともかく、ボディの豊かな面構成や内外装の素材により、全体の質感を上げようという試みは成功してたと思う。
で、3代目の今回は“クルマに興味のない”20代男女がターゲットだそう。
そもそも、クルマに興味のない人間がターゲットになり得るのか、という問題もあるけれど、それは市場調査で可能なんだとスズキは踏んだみたいだ。
その代表が、今回のキャッチコピー「タッチ・ニュー・デイズ」で謳う、文字どおりのタッチパネルを採り入れたオーディオ類の操作部だ。ま、デザイン的にはそこだけじゃアレだから、メーター回りまで含めてそういう雰囲気を出したと。
一方、エクステリアについては別途ニフティにも書いたけれど、チーフデザイナー氏の話で何より印象的だったのが「今回は従来のクルマ好きの鑑賞に耐えられるような次元の造形じゃない」というもの。これは、なかなかショッキングな発言なんである。
たとえば、長いキャビンによるアンバランスなプロポーションも、サイドボディ面への唐突なホイールアーチも、これまでの定石ならNGだけど、今回はアリだと。
つまり、20代のユーザーに振り向いてもらうためには、もうそんな旧来からの価値観なんかに構ってたらイカンってことらしい。そのためには、チョットなあと思える若手の意見もドンドン採り入れるべきだと。
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僕は、その発想自体に反対はしない。老舗の和菓子屋がお洒落なカフェをオープンするように、そういう世代越えの話はべつにクルマだけの話じゃないし、ファッションだろうが音楽だろうが、何にだってあることだから。
肝心なのは、そういう新しい企画による商品の出来がいいのか悪いのか、完成度が高いのか否かという、当たり前のことなんである。
その意味で言うと、残念ながらMRワゴンは失敗していると思う。理由は簡単で、すべてが中途半端だからだ。
新しいラウンド感を持たせたというフロントは、なぜか昔のフィアットやVWを想起させるレトロタッチだし、一方でサイドやリアは先代の面影をかなり残しているから、その関連が薄くてバラバラな感じだ。ボンネットの存在を消したこのラウンドフェイスがいいというなら、なぜボディ全体にそのテーマが反映されないのか。
ブラックパネルを主眼にした内装も、左右に広がる白いパッドが多少目立つ以外は、たとえばステアリングやシフトノブ、シート、ドアトリムなど、その他の部分の形状、素材、あるいはカラーリングには何ら新しい提案がない。パネルの先進感がコンセプトなら、どうしてトータルなコーディネイトがされないのだろう。
そのタッチパネルも、単にオーディオ類のスイッチ形状が変わっただけで、新しいと言いつつ何の発展性もない。単純な話、パネルのインターフェースが時代遅れになったらどうするんだろう? 操作部分が脱着式のスマートフォンで、音楽など端末側の情報や、逆に燃料やオイル消費量、走行距離などクルマ側のデータをやりとりしたり、そのままスマートキーやハンディナビになるくらいの展開があったっていいのに。
先のとおり、これまでの常識にとらわれないのはいいとしても、それならそれでテーマを追求し、商品としての完成度を上げなくちゃコンセプトに沿った魅力は出てこない。単に従来品のごく一部だけを取り替えただけの、まさに中途半端な商品になってしまう。
そして、実はどんな新提案であれ、そうやって明確なテーマでもって企画を練り上げ、完成度をも向上させた商品=クルマは、たとえば日産のジュークがそうであるように、結局は年齢を問わずに売れる秀作になり得ると僕は思うんである。
(11/02/01 すぎもとたかよし)
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