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C3を見て思うことはふたつ、だ。
まず、商品企画。
1.6NAで全長4mを切るコンパクトカー。ヴィッツとフィットならRS、デミオならスポルト、あとスイフトスポーツかな。どれにしても、ベーシックのC3(209万円)より40万円以上お安い。
スペックの類はともかく、実車のC3を見れば「あ、こりゃ金掛かってるわ」というのはもう肌で感じる。なんかこう、デザイン案の実現へ向けてどうコストを抑えるかが妙に目に付く日本車とは違う方向。内外装をはじめ基本をしっかり作り込んでいるけど、同じ大きさの日本車より結構お高い欧州車っていう構図ね。
これ、213万円のポロも同じかと思うんだけど、商品企画としてはどっちが望ましい、というか、どうしていつまでも同じ構図なのかと思うんである。いまだ安くて便利で壊れないのが日本車のウリであり、基本的に自国がそういう市場なんだとしても、それでもこんなに多くの会社がある国なんだから、1社や2社、そうじゃないコンパクト作っても面白いと思うんだけど。
いや、べつにレクサスとかじゃなくていいんだけど、でもベリーサやティーダとかでもない、もっと丁寧で「いいもの感」が感じられるモデルね。きっとアウディA1なんかもそうなると思うけど、僕としては、日本の高い技術を使った200万円のコンパクトを見てみたいんである。もちろん、その一方でタイ製マーチがあってもいいかと。
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で、もうひとつはスタイリング。
僕はこのC3、以前書いた派生のDS3よりシンプルでずっといいと思うんだけれど、じゃあ名作の予感が?ってほどじゃない。逆に、出来のいい先代モデルのモデルチェンジとしては?じゃないかと。
たとえばDS3にも流用できた複雑なかたちのランプや、強いアクセントラインが入ったバンパー。あるいはガラスルーフの後端を飾るシルバーモール。なんだかそういう各々の要素に凝ってしまって、全体が後回しみたいな。んー、「不安定」って言えるかもしれない。
初代を火で炙ってトロけてしまったキューブや、余計なラインがうるさいヴィッツなど、日本でもこの不安定方向のモデルチェンジは結構あったりするけど、ここ数年のメルセデス・ベンツやルノー、207以降のプジョー、ミトや新しいジュリエッタのアルファなんかにも同じようなものを感じるかな。パッと見の斬新さや面白さはあるものの、時間的な耐久性のない「小手先」の造形ってやつ。
つまり話としては、ものすごくまとまりのいいモデルと不安定なモデルが混在する「バラつき感」だ。何が評価されて何が不評なのか、この21世紀の情報化社会で何でも把握できる中、どうしてこういうことが起きるのか、どうにも僕には不思議で。
もちろん、その本当の理由なんか僕には分からないけれど、ただ、もしかしてインハウスデザイナーの台頭とカロッツェリアの衰退に原因の一端があったりするのかな、なんてことを想像することはある。あくまでも一端だけど。
そう、例のVWによるイタルデザインの買収話なんかを聞くと、もしかしてそういう背景があったりするのかなあ、なんて勘ぐってしまうってことなんである。
(10/06/01 すぎもとたかよし)
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