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テリー伊藤氏はクルマ好きで知られているけれど、業界外からの率直な意見が面白いということで、誌面での活躍も多い。
その中で、新しいレガシィを扱っている記事がいまあるんだけど、今回はちょっと「あれ?」って感じなんである。
話としては“見た目は悪い”けど“乗るといい”という内容。キャバクラで隣に来た娘が“即チェンジ”な容姿だったけど、色々話をしてみたら性格美人だった、と。まあ、そのこと自体が理解できないわけじゃないけど、この考え方はあまりに古過ぎるでしょう。
ホラ、かつて「技術の日産」が凋落し始めた頃、その商品企画の酷さにこの表現がよく使われたのを覚えてないかなあ? カクカクになっちゃった3代目のオースターとか、走る棺桶と揶揄されたローレルとか。ハードはいいんだけど、デザインに代表される商品企画がまったく追いついてないという状況ね。
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ザックリ、あれからもう20年以上だもん。もはやあらゆる情報が瞬時に入手できて、評価の方法も山ほどある。そんないま現在、多くの人が「変なカタチ」と思う商品を世に出しちゃうって、やっぱりダメなんじゃないか。それは「乗ればいい」ということじゃ埋め合わせられないんじゃないのかな、もはや。
テリー氏も書いてるとおり、いまやレガシィは北米がメインマーケットであって、そのための大型化、そのためのアイコン放棄だったと。僕もその点は仕方がないと思うけど、それと「カッコ悪くなる」ことはまったく関係ないもん。大きくなろうが、Dピラーをボディ色にしようが、要は結果的に優れたデザインか否かでしょう。
新しいレガシィについては、評論家諸氏の意見もほとんどこの「乗るといい」「乗ると癒される」になっているんだけど、“街の自動車評論家”の異名をとるテリー氏までもそこに同調しちゃうのは寂しいなあと思ったんである。デザイナーはキャバ嬢の容姿には手が出せないけど、クルマのカタチはどうにでもできるんだから。
(09/08/03 すぎもとたかよし)
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