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家人の知人で旧いクルマに乗っている方がいるのだけど、先日ようやくその旧車を拝見することができた。
日産ローレル。1970年式の4ドアでグレードはGL。この世代はクーペが有名だけど、セダンはなかなかお目にかかれない希少車である。
まあ、何がスゴイって、38年前のこのクルマ、ほとんど手入れらしいことは何もしていないんだそう。我がジェミニは22歳で結構な手間を掛けているけど、どうしようもない故障以外は“放ってある”らしい。
たしかに塗装には痛みがあるし、室内も年式なりの劣化がある。でも、38年そのままだと思えば信じられないくらい程度がいい。この日も数十キロ離れたご自宅から我が町まで普通に運転して来たんである。
ちょっと運転させてもらったけれど、4速MTは意外にもすんなり操作できるし、プリンス由来のG18エンジンはまるでディーゼルのようにトルクが太い。シュルーんという伸びは期待できないけれど、逆にエンストするような神経質さもない。
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僕よりひと回り上のオーナーさんは、ここ国立にある鉄道の研究所に勤められていた研究者で、いまは大学教授の職に就いている。それらしいのは、日産は最後のサニー以降はまったくイケナイという意見だ。このローレルやブルーバード、そしてサニーなど、質実剛健で真面目、壊れないし燃費もいい。けれどもいまの日産は・・・という具合だ。
ま、いまの日産がどうかはともかく、クルマを道具として徹底的に使いたいというオーダーに応えられる商品は少なくなったのかもしれない。もちろん、品質や耐久性は向上しているのだけど、それを表現できているクルマが少ない。マーケティングの細分化によるニッチ狙いの結果だ。
最近のVWのコンセプトカー「up」は失敗した高級化路線からの原点回帰らしいけれど、シンプルでも魅力あるクルマは一番難しいところなんだろうと思う。「クルマは道具でいい」という人が選んだクルマが、実はもっとも完成度の高いデザインでありパッケージングであればいいと思う。
そういうことを思った一日だった。
(08/02/12 すぎもとたかよし)
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