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■クルマのまわりで「道路公団民営化に反対です!」 |
■はじめに
あきれるほど高い支持率を誇る小泉内閣がいま取りかかっているのが、悪名高き特殊法人の廃止・民営化だ。160程ある法人全てをどうにかしてやろうということではないらしいけれど、石油公団や住宅金融公庫などの「大物」から手を着けるのがミソということなんだろう。 で、日本道路公団をはじめとした道路4法人もその大物の中に入っていて、この場合は廃止ではなく民営化が目標なんだそうだ。金喰い虫の特殊法人メスを入れるのは大いに結構なことではあるけれど、この問題、どうも僕には出発点のところから考え方が違うだろう、という気がしている。 ■料金据え置き? 当の公団や監督省庁の国土交通省は反対しているけれど、いま検討されているのは株式会社形態の特殊会社を作り、これを経てやがては完全民営化するという方法で、つまり旧国鉄や電電公社とほぼ同じ発想だ。まあ、どうしても民営化するんだというのなら方法はいくつかあるんだろうけれど、僕は何が気に入らないといって、どんな方法・形態であれ、現行のバカ高い通行料金を棚上げにしたまま話が進んでいることなんである。 「道路」という極めて公共性・使用頻度の高いインフラを使用するのに、なぜこれ程の出費が必要なのか。なぜここまで徹底した利用者負担を強いるのか? 僕の考えは公団の廃止には賛成するけれど、民営化には反対というもの。即ち、高速道路、自動車専用道路の国による管理・運営で、つまり「国道化」であり、アメリカやイギリス同様原則通行料無料というものだ。要するに「道路」というモノに対する発想そのものを転換してもらいたいんである。 そもそも道路公団の収入源だって通行料金以外のほとんどが政府出資金じゃないか。公団という独立組織を設けておきながら、実際に高速道路を作っているのは国だと言ってもいいくらいだ。そして、民間活力の導入による合理的な道路の管理・運営を目的とした筈の公団がその経営努力を放棄し、果ては関係省庁の天下り先に成り下がってしまった事実を踏まえれば、これはもう国が直接手を出した方がよっぽど合理的だろうに。国土交通省が直に運営したって競争入札をはじめとする民間活力の導入などはいくらでも図れるわけだし、肥大化した公団をなくすだけでもかなりの支出減になる筈だ。財源を云々言うなら、僕個人の意見としちゃあ、例の道路特定財源を全てこっちに回してもらっても一向に構わない。 |
■公の役割 あの住都公団がそうだったけれど、国民の声に応え、税金のムダ使い解消のために何もかも民営化を図るというのはチョット違うだろうと僕は思う。この住都公団のことで言えば、僕らのような安月給のサラリーマンにとっては、公の機関による廉価で良質な住宅こそ本当は必要なんである。住都公団に批判が集中したのは、先の道路公団同様に経営努力を怠り、民間以上の販売価格を平然と提示したり、大きな天下りの受け皿になってしまったことがその大きな理由なのであって、だから看板を替えて住宅建設からは手を引くという新しい整備公団などは問題のすり替えも甚だしく、これが国民の要望などとはとんでもない話なんである。 この住宅にしても、あるいは教育にしても、この国は「生活する」こと自体にあまりに金が掛かりすぎる。もしマイホームが現在の1/3の価格で買えたら、もし私立学校が1/3の学費で通えたら、国民の多くがどれだけ違った生活ができるか。少なくとも個人消費の低下など間違いなくなくなるだろうに。何でもかんでもお上にすがるのは僕だっておかしいとは思うけれど、でも生活の基盤を成すものについては「公の役割」というものもある筈だ。 道路だって同じことだ。それを使うことによって生活が成り立つべき基本的な設備から高額な金を徴収しようというその発想が信じられない。本来なら道路公団がその目的を全うし、無料とはいわなくても欧州各国程度の廉価な料金設定を図れた筈なのに、それも失敗に終わった。ましてや、ここで民営化などを行えばこの高額な通行料金は未来永劫続くことになるじゃないか。だってJRやNTTとは違って、高速道路などは他の競合相手が出てくる可能性など事実上ないわけで、つまり市場の競争原理は初めから望めないんである。 「あと6兆円ばかり国から出してもらえれば公団を民営化しなくても事業の継続は可能だ」なんていうスゴイことを国土交通省は言ったそうだけど、日本道路公団だけでも何と8800人の職員を抱え、これまでひたすら国費にすがってメチャクチャな経営をしてきたことを黙認しておきながら、この期に至って国費により公団を存続させたいなどとはもはや論外である。 けれども、では高速道路をどうするかということについては是非とも抜本的に再考してもらいたい。 その中身はともかく、何と言っても日本は世界に名だたる自動車先進国ということになっているんである。そうであるならそれなりの道路行政というものもある筈じゃないか。 (01/09/05 すぎもとたかよし) |