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前回に続きいま売りの「NAVI」から。
地方局のクルマ番組で有名になったベテランのM氏。今年の個人的イヤー賞をカローラとした。話としてはよくある方向で、あの値段であの内外装と信頼性に富んだ機能性は他に類を見ない、というヤツ。まあたしかにね。
でも、「マニア以外の一般のユーザーに、あれ以上何を望むというのか」という下りはいただけない。そういう考え方がイケナイんだってば。
つまりね、M氏は一般ユーザー、即ち大多数の国民は「こだわり」や「個性」なんか持っていないって前提なんだよね。でも、それは違うでしょ。それが可能ならば、すべての人が大いなる「こだわり」や「個性」を持つべきなんじゃないの?
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「こだわり」というは、たとえばクルマ好きならクルマにしか持たない、という発想がすでにおかしいわけ。モノやコトに「こだわる」というのは、たとえば自分の身に付けるものとか、自分の思考とか信条とか、そういうあらゆるものに気を配るってことでしょ。氏はマニアを単なる○○バカと、すごい狭義に解釈しているんだけど、それは甚だ時代錯誤だと僕は思うんだけれどね。逆に、とくにクルマ好きじゃない人がクルマなんか何でもいいと思っている、というのも大きな間違い。
いや、現状としちゃあ、たしかにM氏の言う傾向が多いんだけど、それをそのまま肯定して「これ以上何を望む」なんて言っちゃあだめだよね。カローラ以上に望むもの、そんなものは山ほどあるワケでしょう。だったら、多くの人がトヨタの策略に乗ることなく、そういう認識を持つのがあるべき姿の筈。そうやって日本の文化度が上がっていくんじゃないの?
だから、そんなことを理由にイヤー賞を決めてしまうのは、ちょっとどうかと思う。啓蒙もまた評論家の大切な仕事でしょう。
(07/01/18 すぎもとたかよし)
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