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■自動車雑誌を斬る!「スカイラインを追いつめたもの」

XVLが?
 間もなく、メディアによれば6月中旬にもスカイラインがモデルチェンジされるそうだ。スカイライン自体は現行で10代目だから、モデルチェンジそのものはもう何度となく行われているけれど、今度のそれはだいぶ話が違うらしい。
 ご存知のように、東京モーターショウに出品されたFRセダンのコンセプトカーであったXVLが、ほとんどそのままの姿でスカイラインを受け継ぐことになり、そこには長く続いた直6エンジンも、丸形テールランプも、そしてボディサイドにはサーフラインもないのである。
 これをもってして「僕らのスカイラインは終わった」という声があちらこちらから湧き上がってくるかのような印象を雑誌メディアは伝えてくる。予想通りの反応とはいえ、何とも勝手なモノ言いじゃないか。
 僕はここでふたつの異論を出してみるつもりだ。

オレたちのスカイライン
 いま、僕の手元にあるのはJ's Tipoの5月号。スカイラインの一連のニュースは各誌が伝えているけれど、本号は創刊100号記念と今回のニュースを掛け合わせたスペシャル版となっていて、事実スカイラインのために割かれたページは随分と多いのである。
 で、一口で言うと話はこうだ。
 「直6エンジンこそスカイラインであることの証だ!」
 ・・・なんだそうである。いや、僕は知らなかったけれど、世の中そういうことになっていたらしい。だから、ほぼ確実にV6が載るであろう次期型は、本来のスカイラインじゃないというのである。
 じゃあ、いわゆるスカイラインらしさって一体何?直6だけ?
 と、いうことで、誌上では「男心」を前面に出した硬派な文面でスカイライン誕生からの「伝説」がとうとうと語られている。いやいや、特別なコトなんて書かれてはいないんである。例によって、第2回日本グランプリでポルシェに対抗すべく、フロントノーズを無理矢理延ばして直6を載せたかのS54型。プロトタイプであるR380用エンジンをデチューンしたと言われる名機S20を積んだC10と、そこから始まるGT-R。これらを始めとしたいつものスカイライン物語が繰り返されているだけだ。あえて違いを探せば、それらの文体がいささかノスタルジック過多であることだろうか。
 そういう「名車」が直6を捨てることによって、ここにひとつのピリオドを打つ。これは僕らファン(って誰のこと?)にとってはどうにも悲しい出来事なのだと著者は切々と訴える。
 けれどもそれはいかがなものかと僕は問いたい。
 だってスカイラインがこういう状況になってしまったのは、悲しい寂しいと叫んでいる雑誌メディア自身にも責任の一端があるでしょうに。

伝説の重み
 高出力の直6を載せたスポーティな4ドアセダン。羊の皮を被った狼。これがスカイラインの基本であるというのなら、その考え方自体は決していまでも通用しないワケじゃない。その最も良い例がBMWの一連のシリースだろうし、国内ではマークUのスポーツグレードなどがこれに当たるだろう。時代が直6からV6へと移る中、それでもBMWは非常に好調だと聞くし、マークUも堅調なセールスを見せている。
 じゃあ、スカイラインはどうして失敗したのか?
 答は簡単だ。クルマ作りの姿勢が歴代を通じて一貫性を欠いており、結果としてクルマ自体もデタラメな育ち方をしてしまったからなんである。
 スカイラインは箱=4ドアセダンといいながら、いつの間にか主役は2ドアとなり、身に付けていた羊の皮は早々に脱ぎ捨てて狼そのものとなる。そして直6を載せた長いノーズを放置し、これをスポーティと称して一向に合理的なパッケージングに目を向けなかったキャビン設計。エクステリア、インテリアともに常に古さと雑さを感じさせたデザインワーク。これら多くの「無策」が栄光の「伝説」の名の元に許容され続け、ついに現代のクルマとして立ち行かないところまで来てしまっただけの話じゃないか。
 そしてそれらの「無策」を許してきたのは何もメーカーだけじゃない。「伝説」とやらに盲目的となった熱狂的日産ファン、加えてこれに同調し、なおかつ煽り続けたメディアもまたこの「無策」を後押ししてきたではないか。
 即ち、スカイラインというクルマに「一家言」を持った人間達全てがこのクルマから自由と真の成長を奪い、寄ってたかってワケの分からない存在に追いやってしまったんである。その当事者たる雑誌メディアが、ここに来てあろうことか「直6以外はスカイラインじゃない」などと公言するなど笑止千万。自分たちの責任は棚に上げて「オレ達のスカイラインは終わった」などとは片腹痛い。そんなにスカイラインが好きだったら、どうしてもっと以前から新しい時代に生き残れるだろうスカイライン像の提案ひとつも行ってこなかったのか?それだってメディアの仕事のひとつじゃないか!

それとこれとは別
 もうひとつの異論はいつものメディアのやり方で、これから先の話だ。
 今回例にしたJ's Tipoでは「さよなら、ありがとうスカイライン」なんていうセリフがあるけれど、これは他のメディアもほぼ同じ。これはスカイラインじゃない、賛否両論だ、などと「衝撃のニュース」として取り上げられている。
 けれどもこの先は違うだろう。「終わり」だの「違う」だの言いながら、これから6月中旬の発表に向けていつものスクープ合戦がより過激になり、恐らく直6やら丸形テールランプなんていう話はどこかへ消えて行ってしまうのだ。そしてデビューのあかつきには大試乗会に明け暮れ、新時代のFRだ何だと大ハシャギし、やがては「もっと高性能版を」「早くこれをベースとしたGT-Rを」なんていう話になる。いや、実際一部の雑誌ではもうその気配が感じられるのである。
 自分たちの時代錯誤的ノスタルジーで「もう終わり」だとし、けれども実際にニューモデルが出てしまえば「夢中」になる。このポリシーのなさ、無責任ぶり、ジャーナリズム性の欠落、これがもうひとつの僕の異論だ。


(01/05/15 すぎもとたかよし)

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